よく晴れた春の日、キリギリスは空を見上げてつぶやいた。
「あー、なんて気持ちのいい日なんだ。こんな日は若葉の上でゆっくりしたいなぁ」
キリギリスは、柔らかい若葉を見つけ、その上でくつろいだ。
青空には、時折ぽっかりと雲が現れ、ゆっくりと過ぎてゆく。
キリギリスの見つけた場所は、程よく日陰になっていて、とても気持ちのいい場所だった。
キリギリスは、あまりに気持ちがよいのでうとうととしていた。
すると、どこか遠くから声が聞こえてきた。
「キリギリスさん、キリギリスさん」
キリギリスはやっとのことで、声のする方に顔を向けた。
そこにはアリが数匹いて、キリギリスを見上げていた。
「どうしたんですか、アリさん」
するとアリの中でも一番大きな一匹がこう言った。
「キリギリスさん、そんなところで寝ている場合じゃないですよ」
「どうしてだい?」
キリギリスは、何のことか分からなかった。
「キリギリスさんは、最近の世の中のことを何も知らないのかい?」
今度は一番小さいアリが言った。
「世の中のこと?」
「そうさ!」
「最近は急に何日も大雨が降ったり、地震が起きたり、大変なんだ。季節に関係なく、食べ物を確保する必要があるんだよ。いつ食べ物が手に入らなくなるか分からないからね」
「だらか僕たちは、今までの何倍も一生懸命に食料を確保しているんだ。自分たちで食料を調達しないけりゃ、どうにもならなくなっちゃうから」
アリたちは交互にまくし立てた。
キリギリスは、目を丸くして驚くばかり。
「キリギリスさんも、寝てばっかりいないで、自分の食料ぐらい確保しておいた方がいいよ」
「後で僕たちを頼っても、無理だからね」
アリたちは、次の食料の調達先について喋りながら去っていった。
「おやまぁ・・・」
キリギリスは、アリたちの後姿を見送りながら、ため息をついた。
そして、はてさてと空を見上げて思いをめぐらした。
「まあ、アリさんの言うことも一理あるな。だけど・・・」
何か違うような気がする。
アリたちが一生懸命に真面目に頑張っているのは、間違いない。
でも、どんなに一生懸命に真面目に頑張っていても、頑張る方向が間違っていたら・・・。
キリギリスは、少し遠くの景色を見た。
そこは、食料を集めるアリたちによって、たくさん葉っぱが取られた場所だった。
葉っぱが少なくなると、太陽の日差しが地面までたくさん差し込むようになり、新芽がでてきてもすぐに枯れてしまうようになった。
草原はどんどん減少し、大きな木も、その根元が日差しにやられて枯れ始めてきた。
いつも日陰にいる生き物も、日差しの下に死んでしまう。
死んだ生き物も、アリによって運ばれていった。
「アリさんは、そのことを知っているのかな?それとも知らずに頑張っているのかな?」
キリギリスは考えた。
考えたが、分からなかった。
「僕はどうしよう?」
キリギリスは、自分はどうしたいのかを考えた。
すぐには答えが出てこなかった。
キリギリスは何日も、何日も考えた。
考えすぎて、キリギリスの額には深い皺が刻まれてしまったほどだ。
キリギリスは考え過ぎて、本当に心底考えることが嫌になってしまった。
「あー、もう嫌だ!」
大声で叫ぶと、空を見上げた。
今日の空も、とっても気持ちのいい空だ。
久しぶりに空を見上げたキリギリスは、この心地よさをしばらく忘れていたことに気が付いた。
「な~んて気持ちがいいんだろう」
キリギリスはうっとりとした。
「そうだ」
キリギリスは大きく目を見開いた。
「僕は種を植えよう。そして、自分に必要な分だけ食べられれば、それで良しとしよう」
キリギリスは、心につかえていたものがスッと取れた。
それからというもの、散歩の途中や食事の合間に木の実や草の種を見つけると、その場に植えた。
食事も、気持ちが満足するとそれ以上は食べなくなった。
種を見つけたら植える。
満足したら食事を終える。
キリギリスがやったのは、それだけだった。
秋になると、大きな台風がやってきた。
毎日大風が吹き、大雨が降った。
キリギリスは、大きな葉っぱの付け根の方にうずくまって、体が飛ばされないようにした。
何日かして、大きな台風は去っていった。
「やれやれ・・・」
キリギリスはそっと地面に降りた。
近くを歩き回って、キリギリスは驚いた。
景色が変わっていたからだ。
アリによって枯れかけていた木は、なくなっていた。
木の立っていた辺り一面の土が、水に流されていた。
一匹のアリがとぼとぼと歩いていく。
「アリさん!」
キリギリスは呼びかけた。
アリは、疲れた顔をキリギリスに向けた。
「やあ、キリギリスさん」
「大変な雨と風だったね。アリさんの巣は大丈夫だったかい?」
アリは肩を落とした。
「たくさん食料を蓄えて、巣も大きくして、一生懸命に頑張ったのに、大水で流されてしまったよ」
「大変だったね」
「仲間もたくさん死んだ。真面目に頑張ってきたのに、なんでこんな目に合わなくっちゃならないんだ・・・」
アリは悲しげにそう言って、またとぼとぼと歩き出した。
「また、巣を元通りにしなくちゃ・・・」
アリは、誰に言うともなく呟いた。
「アリさん、頑張ってね」
キリギリスは、アリの後姿に向かって声をかけた。
それから、雨上がりのきらきらした空を眺めて呟いた。
「さあ、僕は僕にできることをやろう!アリさんがたくさん葉っぱを取っても大丈夫なように、僕もたくさん植えるんだ!」
ある日、キリギリスがいつものように見つけた種を植えていると、その様子をアリが見ていた。
「キリギリスさん、何をしているんだい?」
「やあ、アリさん。僕は種を植えているんだよ」
「なぜ?そんなことをしてもキリギリスさんの食料は増えないだろう?」
「そうだね。すぐには増えないよ。でも、種を植えたら新芽がでるだろう。新芽が伸びたら、たくさん葉っぱが出るし、花も咲く。それが好きなんだ」
アリはしばらく黙っていた。
「キリギリスさん、僕思ったんだ。どんなに食料をためても、巣を大きくしても、死んじゃったら意味がない。いや、生きていても意味がない」
キリギリスは、アリをじっと見て、次の言葉を待った。
「自分たちの分だと確保しなくても、僕たちに必要な食べ物は、僕たちの周りにいつもある。あそこの木が流されたのだって、僕たちが葉っぱを取りすぎたからじゃないかって思ってる。
僕たちは、一生懸命に真面目に頑張ってきたけれど、なんだか頑張り方を間違えたような気がするんだ」
キリギリスは、アリに優しく微笑んだ。
「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。本当のことなんて僕にはわからない。でもね、こんな風に思うんだ」
キリギリスは、ゆっくり空を見上げながら言った。
「僕たちに本当に必要なものって、実はとっても少ないんじゃないかなぁって」
「本当に必要なもの?」
「うん。本当に必要なもの」
「食べ物のこととか?」
キリギリスは頷いた。
「食べ物だって、食べられる量なんて決まっているだろう?僕は満足する気持ちを大切にしているんだ。どんなに美味しそうな葉っぱがたくさんあっても、もう十分だなって心が思えば、それ以上は食べないよ。そうやって1回1回、ちゃんと気持ちが満足していると、本当に必要なものって、頭で考えるよりずっと少ないなって感じるんだ」
「でも、冬になったらどうするの?食べるものなくなっちゃうじゃないか!」
キリギリスは、にっこり笑った。
「冬が来て、もし食べ物がなくなってしまったら。その時、きっと僕は今まで満足に食べてこられたことに感謝して、死んでいくよ」