二人の白拍子

(ふたりのしらびょうし)

【前置き】

 

この物語の登場人物の行動を理解するうえで、先にお伝えすることがあります。

当時は、法然上人が説かれた教えが京の都を中心に広まっておりました。

それは、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることで、阿弥陀仏のご本願により、極楽浄土に生まれ変わり救われる、という教えです。

阿弥陀仏のご本願というのは、阿弥陀仏が誓った約束のことで、どのような約束かというと、一切衆生を必ず救うというものです。

ですから、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏に帰依する、つまり阿弥陀仏を信じますと唱えることで、死後、必ず阿弥陀仏が極楽浄土に導いてくださり、極楽浄土に生まれ変わって成仏する、救われるというものです。

 

また、物語の中に五逆罪という言葉がででまいりますが、これも仏教に関わる言葉です。

五つの罪。母を殺す。父を殺す。阿羅漢を殺す(聖者を殺す)。仏の体を傷つける。僧団を破壊する。

この五つの罪を五逆罪と言います。この五逆罪を犯すと、無間地獄に落ちるそうです。

無間地獄というのは、地獄でも一番重く、間断なく責め苦を受け続ける地獄のことです。

 

 

 

【二人の白拍子】

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。

たけき者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。

 

この有名な一節から始まる「平家物語」は、その名の通り、平家一門の栄華とやがて源氏によって滅ぼされていく物語を軸として語られております。

 

そして、この物語には、美しい白拍子達が登場し、時代に翻弄されながらも物語に彩を添えております。

白拍子とは、どのような存在だったのでしょうか。

源義経に愛された静御前は、白拍子の中でも特に有名です。

白拍子の多くは、「遊び女」と呼ばれる遊女でした。

女性ながら、水干という男性の装束を身に着け、立烏帽子を被り、腰に刀といういでたちで今様を謡い、舞うのです。

 

 

奥嵯峨の祇王寺もまた、白拍子「祇王」の物語を、今に伝える場所なのです。

 

 

 

都で名手と言われた白拍子に「祇王」「祇女」という姉妹がおりました。

二人とも「とぢ」という白拍子の娘でした。

 

祇王が、平清盛の寵愛を受けてから早三年が過ぎようとしていた頃のことです。

時の権力者、平清盛という圧倒的な庇護者の下、祇王は幸せに暮らしておりました。

清盛は、母「とぢ」にも家を与え、毎月米と金銭を贈りました。

また、妹「祇女」も、祇王の妹ということで世の中の人々にもてはやされました。

都中の白拍子という白拍子はみな、祇王にあやかろうと名を変えたり、また羨んだりしたのものでした。

 

その頃、加賀から都に上ってきた若い白拍子がおりました。

都の人々は身分の高い低いを問わず、「こんなに舞の上手な白拍子は、これまでに見たことがない」と、その白拍子をもてはやしました。

その白拍子の名は「仏御前」。

 

仏御前は、若さゆえに怖いもの知らずでした。

「私は天下の評判は得たけれど、今権勢を誇っていらっしゃる清盛様が、まだ私をお召しにならないのが残念だわ。

そうだ、これからお邸に参上しよう。

突然訪ねて行くのは遊び者なら当たり前のこと、きっとお許しくださるわ」

 

ところが、突然邸に参った仏御前に、清盛は会いもせず、つれなく追い返してしまいます。

 

そんな清盛に対して、祇王は優しくこう言いました。

「遊女が押しかけてくるのは、世の常でございます。

まだ年も若いとのこと、きっと思い立って参ったのでございましょう。

それをつれなく帰らせなさるのは、お気の毒なこと。

私も同じ芸の道に携わっている者として、他人事とは思えません。

たとえ舞はご覧にならなくとも、歌をお聞きにならなくとも、せめてご対面だけでもお許しなさったら、この上ないお情けと存じます」

 

清盛は、愛する祇王のこの言葉を聞いて、帰りかけた仏御前をしぶしぶお召しになったのです。

「会うつもりはなかったのだが、祇王がしきりとすすめるので会うことにした。

会ったからには、今様の一つでも歌うがいい」

 

「承知いたしました」

 

    君をはじめてみる折は

    千代も経ぬ(へぬ)べし姫子松

    御前の池なる亀岡に

    鶴こそむれいてあそぶめれ

 

 

仏御前が今様を歌うと、その場で見聞きしていた者はすっかり感じ入ってしまいました。

「お前はたいへん今様が上手であった。この分なら舞もさぞかし見事なものであろう。」

清盛は、そう言って鼓打ちをお召しになりました。

仏御前は、髪かたちをはじめ見目麗しく、声も節回しも見事でしたから、舞をしくじるわけがありません。

想像を超えて見事に舞い納めた仏御前に、清盛はすっかり心を奪われてしまったのです。

 

「仏御前、お前は今よりここに召しおくことにする。よいな」

清盛の言葉に仏御前は驚きました。

「清盛様、何をおっしゃいますか。

清盛様には祇王様がいらっしゃるではございませんか。

私が突然押しかけてまりましたのを取りなしてくださいましたのは、祇王様でございます。

もし、召しおかれることになりましたら、祇王様が何とお思いになりますことか・・・

そんなことはできません。どうぞ、このままお邸を下がらせてくださいませ」

 

「それは、ならぬ。お前は祇王のことが気になるのか?

そうであれば、祇王の方こそ、この邸から出すまでのこと」

 

「そのようなことは、あってはなりません。

何ということでしょう。このお邸にご一緒することさえ心苦しいことですのに、祇王様を追い出して、私一人召し置かれるなんて。

お願いでございます。今はただただ、お暇をいただきとうございます。

また後々まで私のことをお忘れでなければ、召されて参ることもございましょう」

仏御前は懇願しましたが、聞き入れてはもらえませんでした。

それどころか、清盛は祇王に「早々に立ち去れ」と何度も使いをやるのでした。

 

 

 

いつかは清盛の心も自分から離れていくと、祇王は以前より覚悟はしておりました。けれど、このように突然、その時がこようとは思ってもおりませんでした。

心は千々に乱れておりましたが、早く邸を出るようにと何度も言われるので、急いで部屋を掃いたり拭いたりさせ、見苦しいものは取り片付けて、いよいよ出ていくこととなりました。

かりそめの出会いでさえ、別れの時は悲しいものです。

ましてや、三年もの間過ごした部屋となれば、悲しみの涙がこぼれるのも道理というものです。

祇王は、もはやこれまでと思い、部屋を出ようとしましたが、忘れ形見とでも思ったのでしょうか、襖に泣く泣く一首の歌を書き残すのでした。

 

 

    萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草

          いづれか秋にあはではつべき

(春に芽吹く草も、枯れていく草も、もとは同じ野辺に生えた草。いずれ秋になれば枯れていくのです)

 

 

母とぢの家に帰り着いた祇王は、ただただ泣くばかり。

とぢも妹の祇女も「何事か?」と訊ねましたが、祇王は答えることもできませんでした。

祇王の共をしている女に仔細を聞いて、やっと理解したのでした。

それからは、毎月贈られていた米も金銭も差し止められました。

祇王が清盛から捨てられた噂は、都中に広がりました。

そんな祇王を面白がって、手紙を届けるものや使いを寄こすものが後を絶ちません。

そんな扱いを受けることも、祇王を悲しませたのです。

 

悲しみに暮れるうちに、やがて年も暮れ、翌年の春になりました。

ある日のこと、清盛から祇王に使いの者が参りました。

「仏御前が寂しそうにしているので、邸にきて今様を歌い、舞を舞って仏御前を慰めなさい」

このような内容のものでした。

祇王は、あまりのことに、お返事を書くことができません。

すると清盛は

「なぜ返事をしないのだ。参らぬのか?

それならば参らぬと言えばよいであろう。こちらにも考えがある」

と告げてまりました。

 

とぢは心配して、祇王に言いました。

「祇王よ、ともかくも清盛様にお返事を差し上げなさい」

 

「参上するものならば、すぐにでも参上すると申しましょう。

参上するつもりがありませんので、なんとお返事を差し上げたらよいかわからないのでございます。

今一度清盛様に背いたらならば、この都を追われるか、命を取られるか・・・

それは大した問題ではありません。

だた、一度厭われた身で、再びお目にかかるのが辛いのでございます」

 

「この国に住むうちは、清盛様の仰せに従うしかないのです。

お召しになるのに参らなかったくらいでは、命を取られることはないでしょう。

けれど、お前だけでなくこの母も都を追われることにはなるかもしれない。

年老いた母には、慣れない田舎暮らしは辛いもの。

ただ母への孝行と思い、清盛様のお邸に参上しなさい」

とぢに切々と諭され、耐えがたいことではあるけれども、親には背くまいと泣く泣く清盛のお邸に向かうのでした。

 

一人ではあまりにつらいので、祇女と他に二人の白拍子も連れて、四人で邸に向かいました。

清盛の邸では、以前召されていた部屋ではなく、ずっと格下の部屋に座敷が設けられておりました。

「これは何としたこと。私に過ちがあったわけでもないに。

清盛様に捨てられたことだけでもあまりのことなのに、座敷までも下げられるとは、あまりに無念」

祇王は人に知られまいと、袖を顔に押し当てて泣きました。

 

仏御前はその様子を見て、あまりにも哀れに思い

「祇王様をこちらにお呼びください。

初めてお召しになったのではないのですから、依然と同じ場所にお召しください。そうでなければ、私にお暇をください。

私の方から祇王様の所へ参ります」

と言いました。

けれども、清盛は許しません。

そして、祇王の心中などまったく意に介すこともなく、こう言いました。

「祇王よ、その後変わりないか?

さて、仏御前がつまらなそうにしているので、今様でも一つ歌いなさい」

祇王は、参上したからには清盛の言うとおりにしようと決めていたので、涙をこらえながら今様を歌いました。

 

    仏も昔は凡夫なり

    我等も終には仏なり

    いづれも仏性具せる身を

    へだつるのみこそかなしけれ

 

この場にいた平家一門の公卿、殿上人、諸大夫、侍にいたるまで、みな感動の涙を落としました。

清盛も興味深く感じた様子でした。

「良い歌であった。さらに舞も見たいところではあるが、所用ができた。

これからはこちらから召さずとも、邸に参って仏御前を楽しませるように」

祇王は何ともお返事のしようがなく、黙って涙をこらえて退出するのでした。

 

 

「親の意に背くまいと、辛い気持ちでお邸に参上しましたのに、またも辱めを受けたことが悲しい・・・

都に留まっていたならば、このような辛い思いを、これから何度も味わうのでしょう。

もう、身を投げようと思います」

家に帰った祇王は、泣きながらとぢに言いました。

すると、祇女も

「姉様が身を投げるなら、この私も一緒に身を投げます」

と言いました。

とぢは二人の話を聞いて動揺し、それでも涙ながらに諭しました。

「お前が恨むのも、もっともなこと。

よかれと思って参上させたが、お前にこんな辛い思いをさせてしまい、私も心苦しい。

お前が身を投げたいと思うのもよくわかる。

けれど、お前が身を投げたら、妹も一緒に身を投げると言う。

二人に先立たれた私が、どうして生きていられよう、私も一緒に身を投げましょう。

 

ただ、気がかりはあの世のこと、来世のこと。

まだ死期も来ていない親に身を投げさせることは、五逆罪にあたるだろう。

この世は仮の住処。どんな辛いことがあろうと、どうということはない。

けれど、あの世で往生できず、地獄の闇を長くさまようことが辛い。

五逆罪を犯したお前が、来世で悪道に落ちるであろうことが悲しい」

 

「そういうことでしたら、確かに五逆罪になりましょう。

それでは自害は思いとどまります。

けれど、ここにはいたくない。都から出ていきます」

そう言って、祇王は二十一で出家し、嵯峨の奥の山里に小さな庵をむすんで念仏を唱える毎日を送ることになったのです。

すると、祇女も十九で、とぢも四十五で尼になりました。

三人は、ただひたすらに念仏を唱え、後の世の救いを願うのでした。

 

 

 

こうして、春が過ぎ、夏も盛りを越え、風に秋の気配を感じる七夕のころとなりました。

夕日が西の山の端にかくれていくのを見ながら、

「いつかは極楽浄土に生まれて、悲しみも辛い思いもない暮らしをしたいもの」

と思ってはいても、過ぎ去った日々の苦しみが思い出されて、ただただ涙があふれてくるばかりでした。

 

その日も、小さな庵に夕闇が訪れました。

竹の編戸を閉じ、かすかに火をともして、親子三人で念仏を唱えておりました。

すると、ほとほとと、竹の編戸を誰かがたたく音が聞こえます。

三人は驚いて顔を見合わせました。

今時分、誰がこのような場所を訪ねてくるのでしょう?

不安に思いながらも、祇王は戸を開けました。

 

「まあ、何ということでしょう。

まさか、仏御前とお見受けいたしますが、夢でも見ているのでしょうか?」

そこに佇んでいたのは、仏御前でした。

 

「今更、このようなことを申し上げても、言い訳としかなりませんが、申し上げなければ、情けを知らぬ者となってしまいます。

どうか、ことの初めからお聞きください」

仏御前は涙を抑えつつ、事の次第を話しだしました。

「もともと私は、お召しでもないのにお邸に押しかけて、追い返されるところを祇王様に取りなしていただきました。

それなのに、女のはかなさゆえに、清盛様に逆らうこともできず、自分の思いに反して清盛様のおそばに留まることになり、心苦しく思っておりました。

祇王様が召し出されて今様をお歌いになった折も、身につまされる思いでした。

いつかは私も同じ身の上になると思うと、うれしいなどとは思えませんでした。

祇王様が襖に書き残した「いづれか秋にあはではつべき」というお歌も、本当にその通りだと思いました。

 

それからは、祇王様のお住まいもわからなくなりましたが、このように出家なされて、皆様ご一緒に仏の道に励んでいらっしゃるとお聞きして、羨ましくてしかたありませんでした。

清盛様には、常々お暇を願っておりましたが、一向にお許しくださいません。

私はつくづくと考えました。

この世での栄華は夢のようなもの。

楽しみ栄えたからといって、何になるでしょう。

年が若いということも、何の頼りにもなりません。

老いている者も若い者も、どちらが先に死んでいくのか定まりがないのがこの世です。

死は、ひと呼吸の間も待ってくれません。

一時の楽しみにいい気になって、死後の世界を顧みないでいることが悲しいのです」

 

そこまで言うと、仏御前は少しうつむきました。

「今朝、清盛様の邸をしのび出て、このような姿になってまいりました」

ふいに、かぶっていた衣を取り払うと、仏御前は尼の姿になっておりました。

 

「このような姿で参りました。

どうか、これまでの罪をお許しください。

許すとおっしゃってくださるなら、ともに念仏に励んで、ご一緒に極楽浄土に生まれ変わりましょう。

でも、もしご納得できないとおっしゃるのでしたら、今すぐここから立ち去りましょう。

そして、いずこの土地かわかりませんが、苔の上、松の根に倒れ伏してでも、命のある限り念仏を唱え、本懐を遂げようと思います」

仏御前は、涙ながらに言いました。

 

祇王は、仏御前の手を取りました。

「あなたがそのように思っていらしたとは、本当に夢にも思いませんでした。

この世には、憂いや苦しみはつきものと、自分の不幸もそう思えばあきらめることもできたのに。

ついついあなたを恨めしいと、そのことばかり考えてしまいました。

こんなことでは、とても極楽浄土へは、難しいだろうと思っていたのです。

でも、あなたがこのような姿で私の前に立ち、すべてを打ち明けて、許しを請うてくれました。

今までの恨みはすっかり消え去りました。

今はもう、私たちの願いが叶うこと、疑う余地もありません。

それがとても嬉しいのです。

私と母と妹が出家して尼になったことを、世間では、ためしのないことと言い、私たちもそう思っていましたが、苦しみから逃れたいという、はっきりとした理由がありました。

けれども、今のあなたの出家に比べれば、取るに足りぬことでした。

あなたには、私たちのように恨みも嘆きもありません。

それに、まだわずか十七です。

それなのに、このように俗世を離れ、極楽浄土を願おうと固く決心なされている。それこそが、真の求道心だと思います。

なんとうれしいお導きでしょう。

さあ、一緒に極楽浄土を願いましょう」

 

 

それからは、四人一緒に庵にこもって、朝に夕に、花やお香を仏前に供えながら、念仏を唱える日々を過ごしたそうです。

 

そして、時の早い遅いはありましたが、全員が本懐を遂げたということでした。