かぐやの物語

昔、竹取の翁(おきな)というものがおりました。

翁は、妻の嫗(おうな)と二人で暮らしておりました。

 

翁は竹林で竹を切り出し、籠を作っては商いをして、夫婦仲睦まじく暮らしておりました。

 

二人は決して裕福ではありませんでしたが、何不自由ありませんでした。

けれども一つだけ、子のないことが、心残りといえば心残りでした。

それももう今では叶わぬ夢と、あきらめておりました。

 

 

ある日のこと、翁がいつもの様に竹林に竹を切りに行くと、根元が黄金(こがね)の様に輝いている竹がありました。

不審に思ってその竹を切ってみると、なんとその竹の中には小さな女の子がおりました。

桃の実ほどの大きさしかありませんでしたが、女の子は美しい着物をまとって、座った姿で竹の中におりました。

翁がそうっとその女の子を手のひらに乗せると、女の子は静かに顔を上げて、翁を見つめて微笑みました。

それを見ると、翁は何か心が浮き立つような気持ちになって、思わずにっこりとしてしまいました。

「おじいさま、私はかぐやと申します。どうか私をおじいさまの家に連れて行ってくださいませ」

それはそれは、美しい蝶の羽ばたきのような、小さな小さな声がしました。

その声を耳にすると、翁は身も心も疲れが取れるような心地がしました。

「おお、もちろんだとも。かぐや姫、わしとばあさんで、お前様の世話をすることにしよう」

 

こうして、かぐやは翁の家で暮らすことになりました。

 

 

それからというもの、翁が竹林に行くと決まって根元が輝く竹があり、その竹を切ると黄金やら着物やら、暮らしに必要なものが何でも見つかりました。

かぐやは日に日に大きくなり、一年も経つともう立派な娘になりました。

 

翁は竹から得た黄金で、竹林の近くに立派な邸(やしき)を建てました。

すると、どうしたことでしょう。

「働かせて欲しい」と望むものが次々と現れ、邸には多くの人々が立ち働き、出入りするようになりました。

それはまるで、昔からの立派な邸のような有様です。

 

かぐやは誰からも教えを乞うてはおりませんでしたが、和歌も書も管弦も実に素晴らしく、観るもの聴くものの心を捉えて離しませんでした。

四季折々、邸に住まうものは誰彼となく管弦を楽しみ、花を慈しみ、穏やかな日々に感謝をしました。

翁も嫗も、まるで若夫婦のような若々しい心持になりました。

「極楽があるとすれば、この邸のようなところかもしれない」

二人は、時折そう話し合い、自分達の身に起こった幸せに感謝するのでした。

 

 

やがて、この不思議な邸とかぐやの噂は、都の人々の耳にも入るようになりました。

それは、こんな噂でした。

「都に程近い竹林の近くに、突然大きな邸が建てられたそうだ。なんでも、その邸には天女のように美しい娘がいて、ひと目でも見ることができた人は命が延びるということだ」

 

 

 

 

ほどなく、一人、二人と、かぐやの噂を聞きつけて、人が訪ねてくるようになりました。

身なりの粗末な人々でしたので、翁はどうしたものかと迷いました。

すると、かぐやはこう言いました。

「おじいさま、お願いがございます。この私に会いたいと訪ねていらっしゃる方を、お庭にお通しください。お目にかかりとうございます。

どのような噂をお聞きになっていらしたかは存じ上げませぬが、わざわざ私を訪ねていらっしゃったのですから、会わずにいるのもいかがかと存じます」

「しかし、かぐや姫、どのような人物がくるかわからぬ。そなたに万が一のことでもあったら、わしとしてもそなたを授けてくださった神様に面目がたたぬ」

「私は貴族の娘でも、高貴な身分でもございません。竹より生まれ出た身。何をもったいぶる必要がございましょう。私を見て、ほんの一時でも心が安らぐのであれば、それ以上の喜びはございません」

 

やがて、噂が噂を呼び、翁の邸には、朝に夕に多くの人々が集うようになりました。

ですから、かぐやの噂が、帝をはじめとする高貴な身分の方々の耳に入るのも、あっという間のことでした。

 

 

 

 

 

高貴な方々は、いきなり邸に来るなどということは致しません。

「かぐや姫、貴族様からこんなに文(ふみ)が届いたぞ!」

翁は興奮して大きな声をあげました。

かぐやは文を受け取ると、一つ一つ丁寧にお返事をしたため、使いの者に渡します。

そうしてから、改まった態度で翁と嫗に向き合うのでした。

「おじいさま、おばあさま、大切なお話がございます」

「かぐや姫、どうしたというのだ?」

「今いただいた文は、ご存知とは思いますが、求婚のお手紙でございます。私を竹林から見つけ出し慈しみ育ててくださったおじいさまとおばあさまなら、私が普通の娘でないことをお分かりいただけるのではないかと・・・。私は、この地で子を産むことは許されておりません。ですから、どのようなお方でありましても、私がお申し出を受けることはございません。それだけをご理解いただきとうございます」

翁と嫗は、しばらく黙ってかぐやの話を聞いておりましたが、やがて翁は穏やかに言いました。

「そなたが、そのように言うのであれば、わしらは何も言うことはない。いつまでもここで楽しく暮らそうぞ」

「ありがたく存じます」

そう言って頭を下げるかぐやの声は、わずかに震えておりました。

嫗は、着物の袖に涙を落とすかぐやの肩を優しく撫でておりました。

 

求婚を諦めたものの、かぐやの慈悲深い心根に惹かれた帝と幾人かの貴族は、それからもかぐやとの文のやり取りを続けておりました。

 

 

 

 

ある年のことです。

その年は、春に特別なことが起こりました。

月蝕です。

満月の夜、月はみるみる姿を変え新月のような暗い夜空となりました。けれどもすぐに月は細く顔を出し、またもとの満月に戻ります。

このころの人々は、月蝕を不吉なものと忌み嫌っておりましたので、よほどの変わり者でもなければ、月蝕を眺めるなどということはいたしませんでした。

翁と嫗も、月の光にさえ当たらぬように邸の奥に隠れておりました。

けれども、かぐやは飽きもせず、ずっと月の変化を見ておりました。

そんなかぐやの姿を見て、二人は何とも言えぬ不安を覚えたのでした。

 

それから一月(ひとつき)ほどしたある日のこと、いついかなるときでも慌てたことのないかぐやが、驚きの声をあげました。

近くにいた嫗は、何事かと驚きました。

「かぐや姫、どうなさった?」

「いえ、大丈夫です、おばあさま。なんでもございません」

かぐやの声に拒絶の気持ちを感じ取った嫗は、それ以上言葉をかけことができませんでした。

それからというもの、かぐやは、月を眺めては涙を落とすことが度々ありました。

翁や嫗が「どうしたのだ?」と問いかけても、「なんでもございません」という答えが返ってくるばかりでした。

二人はかぐやの様子を注意深く見守っておりました。

 

やがて不可解なことが起こりました。

三人で揃って庭の蛍を眺めていたときのことです。

一緒にいるはずのかぐやの姿が、一瞬すっと見えなくなりました。

瞬きをする、ほんの僅かな間でしたが、確かにかぐやの姿が見えなくなったのです。

翁と嫗は声も出ず、顔を見合わせておりましたが、かぐやは何事もなかったかのように庭を眺めたままでおりました。

 

 

 

 

 

夏も過ぎ、秋になると、かぐやの嘆きはいよいよ増さってまいりました。

翁や嫗の前では以前と同じように振舞ってはおりましたが、ふと見せる思いつめた様子には、ただならぬものがありました。

二人は心配のあまり、とうとうかぐやに問いただしました。

「かぐや姫。何か心配事でもあるのではないか?わしらにできることであれば、何なりと言っておくれ。そなたの思うほど、わしらは役立たずでもあるまいに」

二人に何度も問われ、とうとうかぐやは意を決してこう言いました。

 

「おじいさま、おばあさま。ご心配をおかけして本当に申し訳ございません。

なれど、こればかりは、おじいさまでもおばあさまでも、ましてやこの私自身でもどうにもならぬことなのでございます。

そして、私の心を悩ませていることをお話するには、なぜ私がここに来たのか、その理由を明かす必要がございます。

それは、私にとって、とても勇気が必要であることを、どうぞご理解ください」

「そなたの言うことは、全て信じる。どうかわしらのことも信じて、話しておくれ」

「ありがたく存じます。どうぞ驚かれませぬように・・・」

 

かぐやは居ずまいを正すと、静かに語りだしました。

 

「私は月から参りました。月に住む天人の一人でございます。本来は、人としてこの地に生きることはございません。けれども、私は罪を犯してしまいました。天人としてやってはいけないことをしてしまったのでございます。

 

月は、人が赤子としてこの地に産まれ出る前、準備のためにひととき過ごす場所でございます。そして私達天人は、その準備を手助けし、良い時期を選んで送り出す役目を担っております。

 

人が赤子としてこの地に産まれるとき、必ず食する実があるのです。それは、かぐの実。

かぐというのは、橘の木のこと。つまり橘の木の実を食べることが、この地に産まれるきっかけとなるのでございます。

私の犯した罪と言うのは、天人の身でありながらかぐの実を口にしてしまったこと。

この実を食したものは、必ずこの地に降り立たなければなりません。けれども私は天人。この地に産まれる皆様とは、違うのでございます。

ですから、母の体から産まれることも難しく・・・。

 

私は、おじいさまとおばあさまを、私を育む方々として縁を結ばせていただきました。

月から見たとき、お二人が労わりあって過ごされているお姿に、とても心が温かくなりました。

このお二人ならば、私のようなものが突然現れても、きっと慈しみ育ててくださる。

そう思ったからでございます」

 

かぐやは涙を堪えきれず、片袖で顔を隠しました。

翁と嫗は、これから聞かされる話がどんな恐ろしい顛末であろうかと、固唾を呑んでおりました。

 

「思っていた通り、おじいさまもおばあさまも、この私を本当に愛情深く慈しんでくださいました。

けれども、間もなく御暇(おいとま)申し上げるときが参ります。

中秋の月の夜、私は月に帰らねばなりません」

 

「何ということだ。そなたがここにいても、何の問題もないではないか。今までと変わりなく暮らしていけば良いであろうに」

思わず、翁は声を荒げました。

 

「申し訳ございません。なれど、このことばかりは、どうにもならないのでございます」

「中秋の夜は、わしはそなたをしっかり捉まえて決して離さぬ」

 

かぐやは哀しげに目を伏せました。

「おじいさまも、おばあさまも、もうお気づきでございましょう。

私の姿が時々見えなくなっているのを。

たとえ、おじいさまがそのようになさっても、時がくれば、まるで秋霧(あきぎり)が私を隠してしまうように、消え失せてしまいましょう。

そのように定められております。どうかお許しくださいませ」

 

「・・・よもや、このような結末が待っていようとは、思わなんだ。何のための、わが人生よ。極楽の先に地獄が待っておったとは・・・」

「おまえ様、そんな風に言ってはかぐや姫が辛い思いをします」

「わかっておる、わかっておる」

「かぐや姫。よう、わたし達を選んでくださいました。心から感謝しておりますよ。おまえ様と暮らした年月は、本当に幸せな日々であった。ご褒美をいただいたような日々であった。じい様が酷いことを言いました。けれど本心から言ってるのではありませんよ。悲しみが言わせた言葉。それを、どうかわかってやってください」

「おばあさま・・・」

 

 

 

 

八月十五日。

その夜は、あっという間にやってまいりました。

常ならば、秋の夜に輝く満月が池の水面に映るのを眺めて、あちらこちらから聞こえてくる虫の音に耳を澄ませる、中秋の名月。

けれども、今宵は、涙で月も霞むような夜。

 

帝は事の次第をお聞きになって、何とかかぐやを引きとめようと、大勢の武人(ぶじん)を遣わしました。

邸の周りに、庭のあちこちに、かぐやと老夫婦がいる部屋以外のありとあらゆる場所に、太刀や弓を構えた男たちが待ち構えております。

帝は、何者かがやってきて、かぐやを連れ去るのではないかとお考えになったからです。

かぐやは、あらかじめしたためておいた文と小さな果実(かじつ)を差し出しました。

「この文は、せめてもの慰めにとしたためました。そしてこの実が、かぐの実でございます。これには不思議な霊力がございますゆえ、お心持が沈んだときに、少しだけ召し上がられるとお気持ちも晴れましょう。こちらはおじいさまとおばあさまに。そしてこちらの文と実は帝様へお渡しくださいませ」

「・・・かぐや姫」

翁も嫗も、かぐやの袖を掴んだまま涙に暮れるばかりでした。

 

その時、ふと芳しい香りが鼻をくすぐりました。

そして、かすかに笛や鈴の音が聞こえます。

かぐやはゆっくり顔を上げました。

 

金色の光を放つ美しい月が、一瞬霧に隠れたと見えましたが、霧は瞬く間に人型へと変わり、竹取の翁の邸の上空に数十体の天人が現れました。

それぞれが楽器を手の持ち、歌い、舞う。

頭上で繰り広げられているその有様に、その場にいた誰も彼もが心を奪われ、身動きすることさえ忘れるほどでした。

 

かぐやはゆらりと立ち上がりました。

庇(ひさし)まで進みでると、二人の天人がかぐやに手を差しのべました。

かぐやは立ったままの姿で空に浮かび、そのまま手を差しのべた二人の天人に迎えられるように並びました。

そうしてから、名残惜しげに老夫婦を見下ろしました。

「おじいさま、おばあさま」

その場にいたもの全員の頭の中に、かぐやの声が響きました。

「昔、月からこの地を眺めていたとき、無数の小さなきらめきが光っては消えておりました。それが何であるのか、私は知ることができました。

それは、涙でございました。他人(ひと)を思いやり流す涙。自分の内なる悲しみに流す涙。それが月から見ると、とても美しいのでございます。

けれども、涙だけでは心は温かくならないことも知りました。

どうか涙とともに笑顔を忘れずに、お過ごしくださいませ。

かぐやの最期の願いでございます」

 

その言葉が終わると、かぐやも他の天人たちも、その姿は透き通って、すぐに見えなくなりました。

芳しい残り香は、かぐやが去ったことの証のように、いつまでも消えずにおりました。

 

 

 

 

 

文とかぐの実を受け取った帝は、翁の邸に遣わしたものから、かぐやの最期の様子をお聞きになりました。

帝はしばらく思案した後、お庭の桜の木の隣にかぐの実をお植えになりました。

見るものの心に深い思いを残しながら、はかなく散る桜に、かぐやを重ね合わせたのでしょう。

 

それより、「かぐ」即ち橘の木は桜と並び植えられるようになったとかや。